ゴジラ襲来!その時どう迎え撃つ?後編
避難に間に合わなかった船舶は港に残り災厄が通り過ぎるのを待つしかなかった。
民間船舶を航行させない東京湾ならば民間への被害を最小で抑えられる。
日米双方はそう判断し東京湾を火力発揮の場所と考えた。
なので陸自は東京湾沿岸地域に野戦特科を布陣させた。東京都に第1師団の特科隊と富士教導団の自走砲中隊が、千葉県に第6師団の特科連隊、神奈川県に富士教導団の特科教導隊主力と第10師団の特科連隊が布陣した。
また日米の潜水艦も残る魚雷でゴジラに挑もうとしていた。
戦車部隊を援護すべく富士教導団特科教導隊の99式自走榴弾砲中隊と米軍の多連装ロケット砲小隊が支援射撃し陸自のAH-1とAH-46に米軍のAH-1W攻撃ヘリも機銃とミサイルにより戦闘に加わる。だがゴジラに攻撃による効果があるようには依然見えない。
有明には米軍の戦車部隊が待ち構えていた。
M1戦車は4両しかないので米軍部隊の指揮官は主力であるストライカーMGS中隊の装輪装甲車である高い機動力を生かした作戦を展開した。
お台場が射撃と爆炎に包まれるほどになっていたがゴジラは止まらない。
ゴジラが芝浦に上陸したのを確認した日本政府は戦闘の中止を決める。
沿岸部から住民避難をさせたとはいえその進捗は遅く進んでなかった。避難している人々を巻き添えにする戦闘を日本政府は認められなかった。
〇無防備都市東京
まだ東京の避難は完了していない。むしろ各地の駅やバスセンターなどでは人々が群れを成し避難の為の車輌に乗ろうと待ち続けていた。
こうして東京都内には避難民が溢れる事となる。
日本政府は自衛隊と米軍に東京都内での作戦を当面中止するよう要請した。流れ弾が避難する人々に当たるのを防ぐ為の要請だった。
こうしてゴジラは誰にも邪魔をされず東京の町並みに分け入り破壊を続ける。
だが自衛隊と米軍は地上での作戦を諦めた訳ではない。ある場所を作戦にと選び日本政府へ許可を求めていた。
しかし70万平方メートルもの広大な敷地は東京都内にはそう無い。
部隊展開ができて火力発揮ができる場所は明治神宮が最適であった。その説明を政府へ統合幕僚長が行うものの、やはり皇室に関係する文化財が戦闘に巻き込まれてしまうとして明治神宮を戦闘地域にするのは認められなかった。
こうしてゴジラに対して東京都内はもとより関東地方の都市圏での戦闘を控えるようになる。
〇最後の一撃
だが広島と長崎で核攻撃を既に受けた被爆国である日本としては三度もの核使用を許可できなかった。
その日本政府の心情を知ってか核兵器ではダメなら誘導爆弾による精密爆撃を市街地で行うのを許可して欲しいと求めた。
そんな状況で軍事作戦をすれば流れ弾での被害は免れない。だがアメリカ政府や米軍は衛星による誘導もあるので高い命中率であると太鼓判を押している。核兵器使用よりはマシではないかと日本政府内では精密爆撃承認へと傾く。
ただし避難している民間人ができるだけ少ない地域と言う条件を付けて日本政府は米軍によるゴジラへの精密爆撃を認めた。
一方でゴジラは新宿まで進むと南へ進路を変え神奈川県へと向かいつつあった。
対北朝鮮への備えとしてグアムに派遣されていたこのステルス爆撃機には大型貫通爆弾MOPが搭載されていた。13.6tの重量があるこの爆弾は鉄筋コンクリートや岩盤に守られた地下施設を攻撃する為に貫通能力を高めた爆弾だ。
MOPの貫通力が効いたのかゴジラは背中から出血しているのが確認された。
(終わり)