トランプ政権はモンロー主義に?~そもそもモンロー主義とは~
(モンロー主義を提唱したアメリカ第5代大統領のジェームズ・モンロー)
けれどもトランプ氏は選挙戦と大統領選挙に勝った後でその言動を変えつつあるので孤立主義の政策方針になるのか現状ではますます分からない。
〇モンロー主義とは?
「モンロー・ドクトリン」とは何か?
・ヨーロッパ諸国の紛争に干渉しない
・南北アメリカに現存する植民地や属領を承認し干渉しない
・南北アメリカの植民地化をこれ以上望まない
・現在、独立に向けた動きがある旧スペイン領に対して干渉する事はアメリカの平和の脅威とみなす
この内容を簡潔に述べると
と言う意味である
〇広くなるモンロー主義
アメリカはモンロー主義を外交の基本姿勢とするが1846年から1848年にはアメリカはメキシコとの戦争である米墨戦争を行いメキシコの首都を占領するまで戦われた。1898年にはスペインとの戦争である米西戦争でスペイン領のキューバとフィリピンにアメリカ軍が攻め込み戦勝した事でキューバとフィリピンを植民地にした。米西戦争と同じ年にはハワイを併合もしている。
モンロー主義が対外不干渉の方針と言うのはまさに誤解である。先にも述べた通りモンロー主義とはアメリカの領域を保持する為のものだ。つまりアメリカの領域を広げる事に関しては主義に反している訳ではない。むしろ戦争で勝ち取った領域を新たなモンロー主義の適用範囲に加えていく。
〇門戸開放と日本の台頭
20世紀になりアメリカは日本と対面する事を意識し始める。アメリカがペリー提督の艦隊を日本へ送り徳川幕府と通商条約を結んで開港させた時はアジアの小国扱いだった。だが明治維新から近代化と強国へと急成長した日本は清国とロシアとの戦争に勝利し欧米列強と並ぶ大国になった。
日本が列強になった事でアジア太平洋地域におけるアメリカの領域と日本の領域が接するようになる。対日戦を意識した太平洋横断の実演も含んだ米海軍艦隊による「グレート・ホワイト・フリート」の世界一周(1907年)を行い威圧する。
アメリカが大陸への市場へ進出しようと試みる門戸開放の動きを始める。これはモンロー主義が明確な領域から将来の経済圏へも伸びるようにもなったと言えるが1899年にジョン・ヘイ国務長官が「機会均等・門戸開放」を標榜する「ヘイ・ドクトリン」(オープンドア政策とも言われる)を提唱した影響が大きい。