アニメ「幼女戦記」第11話軍事考察
ターニャへの復讐をするために再び戦場に現れたスーが持つ武器がトレンチガンである。
トレンチガンはアメリカのウィンチェスターM1897散弾銃の愛称である。トレンチガンとは「塹壕戦の銃」と言う意味がある。ボルトアクションの小銃が主流の時代にあって素早い装填と発射による連射ができる散弾銃は狭くすぐに接近戦となる塹壕戦で威力を発揮したからだ。
しかし散弾銃は散弾による人体への破片を大量に残るような射撃をするので被弾した兵士の苦痛は大きい。アメリカ軍によりM1897が多く使用された第1次世界大戦ではドイツから散弾銃を戦場で使うのはハーグ陸戦条約第23条5項における「不必要な苦痛を与える兵器」になるのではないかと抗議した程である。
だがアメリカはドイツの抗議を却下して使用を続けた。
ハーグ陸戦条約など国際法では「不必要な苦痛を与える兵器」としてダムダム弾が禁止され1980年に署名された「特定通常兵器使用禁止制限条約」ではナパーム弾などの焼夷弾や地雷使用の制限がありますが散弾銃をはっきりと使用を制限や禁止する条文がある国際法は現在のところありません。
幼女戦記の世界ではターニャの台詞を考えるとトレンチガンもとい散弾銃を戦場で使う事が国際法で違反だと明記されているようである。
帝国軍の無線に流れた命令文
この内容を聴いて帝国軍将兵は喜びます。
これは回転ドア作戦が成功し残った敵を追い込む作戦が最終段階に入った事を意味します。つまり勝利がほぼ決まり将兵は喜んでいたのです。
共和国の首都パリースィイが無防備都市宣言をして帝国軍にパリースィイを明け渡します。
無防備都市宣言とは宣言する都市に軍隊を置かず市内で戦闘をしないようにする宣言です。無防備都市宣言の法的な根拠は戦時国際法にある。
ジュネーブ陸戦条約の第25条「防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。」の部分やジュネーブ条約追加第1議定書大59条「無防備地区」がこれに当たります。
日本では市民団体が日本国内に無防備宣言都市を増やそうと言う運動をしているけど無防備都市宣言が効力を発揮するのは日本が戦争の当事国になり日本本土に他国の軍隊が上陸して来た場合である。
ジュネーブ条約第59条2項では「紛争当事国の適当な当局は、軍隊が接触している地帯の付近またはその中にある居住地で」とある。無防備都市宣言をしたい都市は都市の近くに敵国の軍隊が迫る状況でなければならない。
ジュネーブ条約の条文をそのまま読むと弾道ミサイルの攻撃や空爆だけでは無防備都市宣言は有効性を持たないし平時から無防備都市宣言をしても何の効力も無い。
何より無防備都市宣言は敵国の軍隊による占領によって都市が保護を受けるのが前提であり国家の防衛と言う意味では簡単に使えるものではない。
では共和国は首都に無防備都市宣言をさせて守備隊を退かせて帝国軍に明け渡したのか?
解錠作戦や回転ドア作戦による帝国軍の反攻で戦力を多く失った共和国軍、首都防衛の戦力を失い帝国軍とまともにぶつかるのを避けて別の戦略を進めていたのです。
外務大臣または外務官僚(?)
「いくつかの植民地の放棄ないし割譲を要求します。事実上の従属国扱いでは現実的ではりません」
帝国軍が共和国の首都を占領した事で帝国は共和国に休戦条約を結ぼうとします。
軍と政府の会議において外務当局は共和国の植民地について放棄か割譲を求めて共和国自体を属国にするつもりはないと述べます。
この点から帝国としては共和国に降伏を迫るものでもない事が分かります。
属国扱いでは現実的ではないと言うの理由は帝国が共和国全土を占領するような余力が無い事もあるし属国扱いで共和国が戦争継続を選び外交交渉がまとまらないからだと思われる。
セレブリャコーフが「終戦も近いですね」と言いターニャが疑問に思って出た台詞
ターニャが拘ったのはセレブリャコーフが終戦が近いと言った理由にある。共和国軍の次官級であるドルーゴ将軍の名前で共和国海軍が徹底し戦闘の休止を命じたと伝えた。
また状況においても停戦でありターニャは共和国が戦争自体をやめるつもりがない事に気が付きます。
終戦と停戦または休戦の違いについて解説して行きます。
終戦は文字通り戦争が終わる事です。
しかし停戦や休戦は外交によりお互いの条件や領土領海などの領域を交渉して定めた上で行いますがあくまで戦闘を止めただけです。
外交上は停戦協定や休戦条約を結んだ国同士はまだ戦争状態のままです。
その例として韓国と北朝鮮があります。警備艇同士の海戦や北朝鮮による延坪島砲撃など南北間での軍事衝突が起きています。これは朝鮮戦争での休戦協定に韓国が署名しなかったせいもあり小規模な軍事衝突が起きるのは正式な戦争を終わる協定を結んでないからです。
戦争状態が終わるのは講和条約や平和条約を結んでからです。
停戦や休戦の状態ではいつ戦争の再開になってもおかしくない状況なのです。
(ちなみに太平洋戦争での日本の場合は1945年9月に降伏文章に調印して降伏に同意し占領の状態を受け入れます。そこから1951年9月のサンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)の調印により日本とアメリカなどの連合国との外交上における戦争状態が終わり日本は占領下から主権を回復する)
ターニャ
「まだ停戦は発効しておりません」
ブレストで移動準備をするドルーゴ将軍の共和国軍を攻撃すべきと主張するターニャが言った台詞
戦争が終わる流れになっても正式な停戦命令がなければまだ部隊は戦闘行動が認められていると言えます。
それは交戦国双方がいつ戦闘停止にするか決めていないからであり緊張状態を解けない為でもある。
だが西方方面軍司令官が止めたのはブレストの共和国軍が取るに足らない戦力と過小評価していたのもある一方で共和国への大規模攻撃を行って和平への交渉に悪い影響を及ぼすと考えていたものと思います。
回転ドア作戦の成功で意気消沈している(かもしれない)であろう共和国政府や国民を戦争継続に駆り立てるきっかけにならないようにと。