マサカズ雑記帳

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映画「この世界の片隅に」感想

 
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 映画「この世界の片隅に」が11月12日より公開されている。

 私は13日にTジョイ東広島で片渕須直監督の舞台挨拶と共に見ました。

 この公開はまさに待ちにまったものだ。

 片渕監督が広島を舞台にした作品を作る。それがこうの史代さん原作の「この世界の片隅に」だと情報が出て6年を経ての作品の完成と公開だ。ファンにとってはまさに待ちに待った作品である。それは私も同じだ。

 「この世界の片隅に」は太平洋戦争の最中である昭和19年に主人公のすずさんが広島市から呉市の北條家に嫁ぐ。嫁いだ北條家での葛藤に再会した幼馴染に心が揺れたりしながら軍港の街である呉市で暮していくと言うストーリーだ。

 満を持した映画「この世界の片隅に」に私は満足した。原作を忠実に再現しつつ動くアニメとしてドラマとして肉付けされた見応えのある作品になっていた。

 北條家とすずさんの実家である浦野家での家族模様や呉市の人々が中心であるので起伏の無い日常作品かと思うとそうではない。昭和と言う世界、戦時下と言う世界が鮮やかに描かれ暗黒世界ではない笑顔がある情景がそこにある。

 「この世界の片隅に」は朗らかであり笑える事の多い作品だ。堅苦しいメッセージは無い。

 戦時下で食料も不足し暮らしが不便になっても家族で笑い、近所の人とも和やかに話す。特別ではない普通の日常を過ごす人達が描かれている。それは戦時下や非常時とされる時代でも当時は日常であり戦時中の人びとが特別違う存在ではないと描かれているのだ。

 家族関係に夫婦同士での事で悩み、おっちょこちょいなすずさんに笑いと現代と変わらない営みがユーモアとシリアスを上手く混ぜて描かれている。

 北條家と軍港の街である呉市が交わる。それは片渕監督が細かく調べた当時の風景や日常や軍隊・兵器描写が織り交ぜながら迫る戦火がじわりと表現される。そして突然の悲劇が見るものにショックを与える。悲劇によって変化するすずの姿が時代を表す。

 「この世界の片隅に」は戦時中の呉市広島市を舞台にしている。けれどもよくある「戦争は嫌だ」とキャラクターが言う事は無い。不平不満は悪化する食糧事情や頻発する空襲に対してと言う日常生活に関わる部分だ。あくまで日常がどうなるかが登場人物の思考の第一であり戦争の正邪を語る肩肘を張る特別な人達ではない。

 「この世界の片隅に」では巡洋艦「青葉」乗員であるすずさんの幼馴染である水原哲が登場する。彼がすずと二人きりとなって「俺は英霊になるのは嫌だ」と本音を吐露する場面ぐらいしか戦争に対する不満が語られる場面は無い。

 むしろすずさんは広島が原爆により破壊された事に対して「そんな暴力には負けないからね」と戦意を高める。

 戦時中の広島を舞台にした作品の代表作に漫画「はだしのゲン」がある。「はだしのゲン」では主人公の中岡元が戦争と原爆によって受けた理不尽さと悲劇によって反戦の意志を主張する。作者の中沢啓治さんが被爆者であるから反戦、反原爆の意志が強く元にその思いを伝えるよう描かれていた。

 だが「この世界の片隅に」は反戦などの思想とは無縁と言える。原作者のこうのさんも片渕監督も戦時中の時代はどうなっているのか?と言う疑問と探究心がスタートとなっているからだ。

 戦時中を描く作品は「また戦争を繰り返してはいけない」と言うテーマが込めらる事が多く登場人物が作者の代弁者になる傾向がある。

だが「この世界の片隅に」の登場人物は誰も代弁者ではない。あくまで時代を生きた人として描かれる。見方としてはNHKのタイムスクープハンターのようでもある。当時の価値観がそのまま描かれているのだ。

この世界の片隅に」が太平洋戦争をはじめ戦時下のドラマを描くにあたり主義主張ではない、時代をそのまま描く新しい日本の戦時下ドラマが「この世界の片隅に」なのだ。